Black Belt 10月号 

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実在の人物、霍元甲を映画化(ドクター・クレイグ・D・レイド)

(訳者注:霍元甲の持病名や、連杰が出演した映画に関する情報が、一般に知られているものとは異なっていますが、本文そのままに訳してあります。)

香港が進化させてきた、様式化された殺陣の概念的アプローチを、ハリウッド映画界がほぼダメにしてしまった今となっては、武術映画を心待ちにしているファンにとって、もはや今年残っている映画はこの1作しかない。ジェット・リーの名を一躍広めることになった作品から離れて4年、彼は隠遁生活から復帰した。そして、必ずや大喝采を得るだろう。Fearless(中国題:霍元甲)で、彼は実在の武術家であり、精武体育会の創始者、霍元甲を描いている。彼が実在の伝説的人物を演じるのはこれが初めてではないが、これが明らかに彼の最後でもある。

2006年2月、リーは次のように語った。「僕はほんの16才の時に武術映画の世界に足を踏み入れた。この世界で僕は自分の能力を十分発揮できたと思うし、この先さらに5年も10年も続ける必要は無いと思う。霍元甲は、武術映画俳優としての僕の人生の集大成だと思ってるよ。

しかし、その後すぐにリーは「ROGUE」に取りかかっている。これはジェイソン・ステイサムと共演するアクション映画である。リーはその時次のように自分の発言を改めている。「武術について僕が言いたいことはもう言い尽くしたので、武術映画はもう作らないよ。アクション映画やカンフー映画はまだ撮るつもりだよ。アクション、カンフー、武術は3つの違ったジャンルなんだ。」

リーが演じた他の実在の人物は、1982年の「少林寺」で、次期皇帝の李世民を父王の敵から救った、英雄的な少林寺僧の1人が最初であった。1991年に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」でツイ・ハークがジェット・リーを、映画の主人公として愛され続ける中国の実在の英雄、黄飛鴻に抜擢した。全部で5作品が作られたが、リーが主演したのはパート2(1992)、パート3(1993)、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ・アンド・アメリカ(1997)である。カンフー・カルト・マスター(1993)では、リーは太極拳と武当派の創始者、張三豊の最高の弟子を演じた。

リーはユエン・ウーピンが監督した大地無限(1993)で再び張三豊を素晴らしく演じた。彼はその後も実在の英雄的人物、少林の十虎の一人方世玉、や洪煕官を演じた。これらはコーリー・ユエンが監督した。

「彼らにまつわる伝説のおかげで、これらの実在の人物は歴史の中で名をとどめているんだ。しかし、だれも彼らの本当の人生はもちろん、多くの場合容貌すら知らない。黄飛鴻のように、100作以上の映画が作られて、それぞれが彼は達人で心根の素晴らしい人物で、単に人を倒したり殺したりしただけじゃないと描いている。でも、少林の十虎の何人かを描くに当たって、僕なりの観点があった。

だから、人物像を新たに作りだし、僕たちの哲学をそこにこめようとしたんだ。そうすることで、その人物像をよく知ることができて、人物像が説得力をもつようになるんだ。中国の実在の英雄を描いた僕の作品は、若い世代にその哲学を伝えるんだ。僕の演じる役柄が、映画の中で行ったことを実際にやったとは思わないよ。そうすることで、彼らをよりよく理解できるんだ。」

さて、霍元甲という人物だが、彼は1868年に中国の天津で生まれた。彼は黄疸のため、父親からカンフーの訓練を禁じられていた。父は、息子が病気のせいで未熟な武術家となり、霍家の流派に不名誉をもたらすことをおそれたのである。しかし、父の願いに従うことなく、霍元甲は練習場に穴を掘り、10年間父が弟子達に稽古をつけるところを覗いていた。

1890年、見知らぬ人物が自分の兄弟弟子を破った時、霍元甲はその後その人物を倒して、自分の能力を示した。迷踪拳(あざむきを元にした少林のカンフースタイル)に注目を集めさせたのは霍元甲である。霍元甲のこの話は、1982年制作の方世玉にも活かされている。この作品には霍元甲の真実の武術家魂が反映されている。

霍元甲に話をもどそう。彼は父と共に、とある宗教団体に随行して警護を行っていた時、1600人の盗賊集団が現れ、彼らを襲おうとした。霍元甲は盗賊の首領をつかまえて腕を折り、盗賊達を追い払った。彼の評判は更にたかまり、中国で自分を倒す者はいないと豪語したロシアの格闘家の挑戦を受けた。しかし、香港の精武体育会の資料によると、霍元甲が対戦の場に現れると、そのロシア人は霍元甲の不屈の精神を見抜き、戦いから退いたのであった。

1909年にも同じような事が起こった。中国人に対して軽蔑的な発言を繰り返していたイギリス人ボクサーの挑戦を受けたときである。しかしこのボクサーは対戦の場には現れず、拍子抜けに終わった。

謙虚さを学ばない同胞の中国人武術家に失望をおぼえた霍元甲は、1909年に精武体育会を創立する。彼の信条は、武術家は自分の精神性を完全なものにするために、最善を尽くし、熱心に心と身体を鍛えるべきだ、というものであった。

1909年後半になると、霍元甲は持病の黄疸との戦いに負けはじめ、日本人医師に助けをもとめた。地元で黄疸に詳しい医師は、その医師だけであったのだ。その医師を通して、霍元甲がすぐれた武術家であるということが、地元の日本人武術道場にも広まった。その結果、彼と当時上海で一番の柔道師範であった日本人との対決は避けられないものとなった。霍元甲は病んでいたため、彼の高弟が挑戦を受け、勝った。

そのことを恥じ、10人の日本人道場の弟子達が霍元甲に挑んできた。霍元甲は健康を害していたが、彼らの腕を折り、日本人らとその師範をも破ったのである。復讐の念にかられて、自発的にか指示されてか、前述の日本人医師が霍元甲に治療を施すときに毒を盛ったと言われている。しかし、実際にはどうだったのか定かではない。

ブルース・リーが「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972)で霍元甲の弟子を演じたことで、多くの中国人や欧米人がやっと霍元甲が武術界にどのような意味を持つのかを知ったのである。この作品は、「アジアの病人」というテーマに焦点を置き、霍元甲に毒を盛ったのは日本人料理人となっている。ジェット・リーの「精武英雄」(1994)はこの作品のリメイクであるが、より精神的な内容になっており、武術家全ての同胞愛を大切にしている。

「Fearless」では、霍元甲は父が中国で世界クラスの格闘家として築いた伝統を引き継ぐことを望んでいる。この望みを達成した後、自分に降りかかった悲劇により、1910年9月14日まで、数年間彼は行方をくらませる。この日、霍元甲は国際的な格闘技戦で、中国の名誉を守るため再び姿を現すのである。中国人の気持ちが挫かれている時にそれは起こる。一戦、一戦、中国の自尊心が高まり、霍元甲は中国のナショナリズムの象徴となる。実際に、彼は畏敬の念をもたれている。

では、この作品はどれくらい真実に近いのであろうか。

明らかに、史実そのままではない。霍元甲の曾孫の81才になる人物は、2006年の3月7日に訴訟を起こした。この作品が、霍元甲の人生をねつ造し、彼を多くの罪もない人を殺した裕福な男として描いている、というのだ。

曾孫は新聞紙上で次のように語った。「私の曾祖父に関する映画やテレビ番組はたくさんあるが、私の一族は芸術のための創作については納得している。ただそれは、作品が曾祖父の真の精神を尊重していて、少なくとも七割は真実である場合のみだ。しかし、今回の映画の内容は、あまりにも事実とかけ離れた部分がある。」

曾孫は、新聞でジェット・リーのこの作品の計画を知ったが、彼の一族には、だれも情報を求めに来なかったことに失望している。一族の弁護士は、霍元甲の家族が映画の中では殺されたことになっているので、曾孫ら一族が霍元甲の直接の子孫である、ということを疑う人も出てくるかもしれない、と語った。

「このような物語をでっちあげるとは、信じられない。この映画によれば、霍元甲の子供達は皆殺され、子孫は残っていないことになってしまう。実際、霍元甲には7人の孫と、私を含めて11人の曾孫がいる。私達は大家族なのだ。」と曾孫は語る。

彼はジェット・リーとプロデューサーからの謝罪と、映画会社がこの間違いを正すことを求めている。

これに対しリーは次のように語っている。「この作品は、霍元甲という人物の物語というよりも、彼がたどったであろう精神的な道のりを表現したものなんだ。ストーリーの多くはフィクションだよ。場所や時代背景は史実に基づいているけどね。僕たちの目的は、霍元甲が神ではなく、人間として描かれている、説得力ある物語を作ることなんだ。」

10年の構想を経て、2003年に制作が始まった。それはリーが、毎年中国では28万人が自殺するという事実を知った頃でもあった。リーは、この作品が、人生に信念を失った人が再起する手助けになることを望んでいる。「この映画で表現されている霍元甲の人生や世界、そして武術に対する考え方は、僕自身の考えに近い。彼は42才で死んだ。僕はこの作品を42才で作った。僕はこの作品に、僕の年代の人達の哲学を反映させようとしたんだ。伝えたいメッセージは、「前向きに生きよう」ということだよ。」

ロニー・ユー監督のこの作品は上海で撮影された。アクション映画としてのテンポを維持するため、元の143分から103分に短縮され、タイの格闘家でオリンピックのフェザー級ボクシングチャンピオンやミッシェル・ヨーとの場面は削除された。

「Fearless」を見て、観客はジェット・リーが武術を現代にもたらした人物である、と認識するだろう。したがって、ジェットは現代の霍元甲そのものなんだ。」とロニー・ユーは語る。

プロデューサーから脚本を見せられた当初、ロニー・ユーはこの作品を撮る意義が理解できなかった。迫力あるアクションシーンもあり、霍元甲は歴史的にも興味深い人物であるが、今までに何度も作られたような内容だ。「何か現代の観客に訴えるものがほしかった。魂がほしかったんだ。」とユーは語る。

ジェット・リーがロニー・ユーに、中国での自殺の多さを憂慮しており、それは若者が自分自身を信じられなくなっているからだと思う、と語った後、ユーの考え方は変わった。

「私はリーがいったことにたいへん心を打たれた。すると突然、霍元甲の物語に展望が開けたんだ。霍元甲は、全ての武術流派を一つ屋根の下にまとめ、スポーツマン精神を通して中国を世界に紹介した愛国的な人物だ。そして、中国の士気がこれまでになく下がっている時代に、人民に希望を与えた人物だ。それに、北京オリンピックもせまっている時だから、スポーツマン精神をもういちと検証してみるいい機会だと思ったんだ。だから、この作品はあらゆる人に訴えかけなければならないし、一人の人間としての霍元甲、自身の誇りと傲慢さから身を滅ぼしかけた、普通の格闘家の物語として描かれなければならない、と主張したんだ。そうではあるが、武術が肉体的なものではなく、精神的なものだと気づいた時に、彼は救いを見いだす。それに、武術は暴力ではなく、平和を促す訓練なのだから、それがこの作品の中心にあるんだ。」

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