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武術に別れをつげて:ジェット・リーとのインタビュー
(スコット・シル)
以前にも同じ事があった。武術の達人でありアクションスターのジェット・リーが、武術を辞めることを決心し、しかしまた戻ってきたことが。だから、今度こそ、その哲学を終わらせるのだろう。「Fearless(邦題SPIRIT)」のアメリカでの公開は、彼の最後の武術映画への関わりとなる。これは、中国の民間伝承のヒーロー達の戦いと、その荒っぽい人生や行いを描くジャンルの作品である。そしてその最後の作品でもあるのだ。
「僕は人生の中で学んできたすべての信念をこの作品に注いだ。だからこれが僕にとって最後の武術作品なんだ。」と語った。
部外者には大したことではないだろうが、タランティーノが食い物にする以前の香港アクション映画史の中では、ジェット・リーは武術の超新星である。彼は、武術の世界でチャンピオンになり、その後「黄飛鴻」や「方世玉」、「精武英雄」そして今回の「Fearless」等の、武術を中心とした作品で、中国本土と香港のアクション映画界の絆を固めてきたのだ。
従って、彼は中国の多くの武術映画を確固たるものにし、そのジャンルは今や世界のどこにもみられるようになった。ジェット・リーの卓越した武術の才能がなければ、アジアだけでなく、世界中の現代アクション映画はまったく違ったものになっていただろう。それはジェット・リーだけのせいではない。観客はアクション映画の暴力性を好み、武術映画は特に問題のある配給のされ方をしてきた。しかしジェット・リーは、武術そのものに非はない、と主張している。間違った考えの者の手によって扱われると、武術は危険な武器となる。幸運なことに、リーはこの武器の扱い方を理解している。
Morphizm: Fealessはあなたの最後の武術作品ですが、どのようにその決心をしたのですか。
Jet: たいてい武術映画は肉体的な面しか描きません。肉体的な力は様々な映画で使われています。しかしそれは単にストーリーや役柄を助けるためのものです。映画では通常、武術の精神的、哲学的な面やその使い方は描かれません。どのように真の武術家になるか、もです。多くの映画ではそのような面はあらわれてきません。僕の理解するところでは、それよりも深いものはありません。
Morphizm: 武術映画と武術を使ったアクション作品との違いを、よく知らない人達に説明していただけませんか。武術映画とは、武術を使ったアクション映画というよりもむしろ、武術をテーマにした作品だと思うのですが。
Jet: その考え方でだいたいあってますよ。武術を使ったアクション映画というのは、カーチェイスで車を使う映画と同じ事です。でも、どうやって車を作るのか、とか、車がどうやって動くのかを詳しくは描きません。
Morphizm: あなたの武術に関する哲学は、復讐や損得勘定や不必要な苦しみを与えるためではない、ということですね。そしてFealessはこの点を力説しています。それでもなお、武術を使った映画は極端に暴力的なこともあります。
Jet: 「ダニー・ザ・ドッグ」もある種の哲学や信念を語るのに武術を使っています。映画の冒頭で、ダニーはあっという間に人を倒してしまいます。しかし彼は友情や、感情を人と交換することがありません。家族というものを理解したりもありません。野生の動物と変わらないのです。映画の終わりに、モーガン・フリーマンが演じる役柄のおかげで彼は変わります。責任や、感情を理解するのです。彼は人間になり、良い人になるのです。
Morphizm: そのような哲学を映画に反映させなければと考えて、プレッシャーを感じますか。
Jet: 全ての作品で、ジェット・リーの個人的な哲学を表すわけにはいきません。ある映画では僕は単なる役者です。役を演じて仕事をする必要があります。ストーリーが監督や映画会社によって、娯楽作品に仕上げられます。二つの異なった種類の映画です。暴力が唯一の解決策ではありません。しかし、それが解決策ではない、とは言いません。ただ僕の作品では、他の面を表したいのです。暴力をどうやって止めるのか、です。HEROやダニー・ザ・ドッグやFearlessではそれが見られます。
Morphizm: 結局、だれがその力を使うか、ということですね。
Jet: 武術は単に技術です。それ自体は悪でも善でもありません。銃のように、単なるものです。それが武術の技なのです。しかし、その哲学や使い手に目を向けなくてはなりません。どのように武術を使っているのか。どのように使うのか。良いことにも悪いことにも、その力をコントロールできるか、などです。
(原文はこちら)http://www.morphizm.com/recommends/interviews/jetli_fearless.html
(スコット・シル)
以前にも同じ事があった。武術の達人でありアクションスターのジェット・リーが、武術を辞めることを決心し、しかしまた戻ってきたことが。だから、今度こそ、その哲学を終わらせるのだろう。「Fearless(邦題SPIRIT)」のアメリカでの公開は、彼の最後の武術映画への関わりとなる。これは、中国の民間伝承のヒーロー達の戦いと、その荒っぽい人生や行いを描くジャンルの作品である。そしてその最後の作品でもあるのだ。
「僕は人生の中で学んできたすべての信念をこの作品に注いだ。だからこれが僕にとって最後の武術作品なんだ。」と語った。
部外者には大したことではないだろうが、タランティーノが食い物にする以前の香港アクション映画史の中では、ジェット・リーは武術の超新星である。彼は、武術の世界でチャンピオンになり、その後「黄飛鴻」や「方世玉」、「精武英雄」そして今回の「Fearless」等の、武術を中心とした作品で、中国本土と香港のアクション映画界の絆を固めてきたのだ。
従って、彼は中国の多くの武術映画を確固たるものにし、そのジャンルは今や世界のどこにもみられるようになった。ジェット・リーの卓越した武術の才能がなければ、アジアだけでなく、世界中の現代アクション映画はまったく違ったものになっていただろう。それはジェット・リーだけのせいではない。観客はアクション映画の暴力性を好み、武術映画は特に問題のある配給のされ方をしてきた。しかしジェット・リーは、武術そのものに非はない、と主張している。間違った考えの者の手によって扱われると、武術は危険な武器となる。幸運なことに、リーはこの武器の扱い方を理解している。
Morphizm: Fealessはあなたの最後の武術作品ですが、どのようにその決心をしたのですか。
Jet: たいてい武術映画は肉体的な面しか描きません。肉体的な力は様々な映画で使われています。しかしそれは単にストーリーや役柄を助けるためのものです。映画では通常、武術の精神的、哲学的な面やその使い方は描かれません。どのように真の武術家になるか、もです。多くの映画ではそのような面はあらわれてきません。僕の理解するところでは、それよりも深いものはありません。
Morphizm: 武術映画と武術を使ったアクション作品との違いを、よく知らない人達に説明していただけませんか。武術映画とは、武術を使ったアクション映画というよりもむしろ、武術をテーマにした作品だと思うのですが。
Jet: その考え方でだいたいあってますよ。武術を使ったアクション映画というのは、カーチェイスで車を使う映画と同じ事です。でも、どうやって車を作るのか、とか、車がどうやって動くのかを詳しくは描きません。
Morphizm: あなたの武術に関する哲学は、復讐や損得勘定や不必要な苦しみを与えるためではない、ということですね。そしてFealessはこの点を力説しています。それでもなお、武術を使った映画は極端に暴力的なこともあります。
Jet: 「ダニー・ザ・ドッグ」もある種の哲学や信念を語るのに武術を使っています。映画の冒頭で、ダニーはあっという間に人を倒してしまいます。しかし彼は友情や、感情を人と交換することがありません。家族というものを理解したりもありません。野生の動物と変わらないのです。映画の終わりに、モーガン・フリーマンが演じる役柄のおかげで彼は変わります。責任や、感情を理解するのです。彼は人間になり、良い人になるのです。
Morphizm: そのような哲学を映画に反映させなければと考えて、プレッシャーを感じますか。
Jet: 全ての作品で、ジェット・リーの個人的な哲学を表すわけにはいきません。ある映画では僕は単なる役者です。役を演じて仕事をする必要があります。ストーリーが監督や映画会社によって、娯楽作品に仕上げられます。二つの異なった種類の映画です。暴力が唯一の解決策ではありません。しかし、それが解決策ではない、とは言いません。ただ僕の作品では、他の面を表したいのです。暴力をどうやって止めるのか、です。HEROやダニー・ザ・ドッグやFearlessではそれが見られます。
Morphizm: 結局、だれがその力を使うか、ということですね。
Jet: 武術は単に技術です。それ自体は悪でも善でもありません。銃のように、単なるものです。それが武術の技なのです。しかし、その哲学や使い手に目を向けなくてはなりません。どのように武術を使っているのか。どのように使うのか。良いことにも悪いことにも、その力をコントロールできるか、などです。
(原文はこちら)http://www.morphizm.com/recommends/interviews/jetli_fearless.html
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