2007年5月20日 国への感謝

CATEGORY翻訳
親への愛とは別に、僕が感じているもう一つの感謝の形は、母国に対するものです。
僕の家族は、父が仕事中に亡くなり、5人の子供が月10元の政府の援助金に頼っていました。
政府は子供が18才 になるまで養育費を援助をする責任があります。この援助金は僕たちの家族には特に重要でした。
もし母のわずかな収入だけで、政府の援助無かったら、僕たち家族がどうやって生きていくことができたのか想像もつきません。

運動選手を訓練して育てる費用もかなり高くつきます。
運動選手としての食費も月に40元、60元 、そして80元とかかりました。
当時、これは、大学卒の初任給から大学教授の月給と同じくらいの金額でした。8才の時に入学した体育学校では、給付金をもらい、食事、部屋、寮、教育が与えられました。その全てを僕は一生忘れません。

僕が映画を作り始めたころになっても、中国社会はまだ解放されていませんでした。
おそらく、子供の頃に世界のあちらこちらの国を旅し、その生活水準を見てきたせいか、僕は反抗的な考えを多く持っていました。
僕は自分のものの見方だけで物事を見て、不公平だと思っていました。
当時の政府の 要人に手紙を書き―「おじいさんへの手紙」と読んでいましたが―自分の考えを表すことさえしました。
しかし実際は、貧しい家庭の子供として、僕はたいへんな配慮や心遣いを受けていたのです。
彼らは子供達の心を支え励ましていたのです。そして僕はそのことを決して忘れません。

40年以上に渡って、僕は自分の人生をよく考えてきました。
僕の両親がこの世に僕を生みだしましたが、国が与えてくれた配慮や基盤がなければ、今日のジェット・リーはいません。
このことを考え ると、人民をはぐくんできた旧政府の指導者達への感謝の念はなくなりません。その多くは知らない人達ですが。

しかし、僕に何ができるでしょうか。
国への感謝の気持ちは、お金や贈り物で示せるものではありません。
僕の考える感謝の念とは、愛と慈悲を与え続けることで、国への恩返しをしようというものです。
これからはそんなことをやりたいと思っています。

僕を育て、教育し、はぐくんでくれた母国に感謝をしています。