2007年5月24日 仏陀への感謝

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僕が感じるあらゆる感謝の念は、過去10年以上学び続けている仏教の教義から発するものです。
人生の様々な局面で、他の人々との交流や共存の中で、僕の真の感謝は仏陀から始まっています。

仏陀、あるいは釈迦は、2500年ほど前に、皆がうらやむような物質的冨や社会的権力に恵まれた家庭に生まれた王子でした。
当時では最高の生活水準にありましたが、王子が何も求めなくても、人生はなお多くの苦しみに満ちていることに気づきました。
老化、病気、死‐‐‐その莫大な資産をもってしても、彼が自分の妻や息子、あるいは自分自身をも、降りかかる運命から救う方法はありませんでした。
魂の探求を行い、王子はついに苦痛を取り除く方法を発見します。
彼は完全に覚醒しました‐‐‐仏陀として悟りを開いたのです。

僕が理解しようと努力してきたのは、人生のあらゆる面で満ち足りた人が苦しむのはなぜなのか、どうやってその苦しみを取り除くのか。本当の幸せとはなにか、またどうやってその幸せを得るのだろうか、ということです。
これらを達成する方法は、昔からいたるところにあり、この世の中に大きな影響を与えてきました。
しかし、仏教の教義はこの問題について特にどのようなことを語っているのでしょうか。
10年ほど勉強し、実践してきた中で、僕は少し理解するようになりました。
自分自身を以前よりわずかによく理解するようになったのです。そして、これが僕の人生への感謝の出どころなのです。

宗教の分野にはこの10年間で、恩を受けたたくさんの先生がいます。
先生達はそれぞれの方法を用いて、僕が人生を理解する手助けをして下さいました。
同じ道を行く多くの人達、仏教教義を学ぶ仲間達は、討論や書物を通して、人生を探求する機会を与えてくれました。
この過程で、僕は本当にたくさんのことを学びました。
しかし、まず第一に、仏陀への感謝をしたいと思います。なぜならば、仏陀の叡智がなければ、僕はこれほど多くの人々に感謝の気持ちを感じるということがなかったからです。

2500年前に生きていた仏陀は肉体的にはもう存在していません。
だから、僕は仏陀への感謝を、自分のエネルギーの全てを他者を助けることにつぎ込むことで表すしかありません。
僕は一夜で天才にはなれません。愛と気づかいを広め、他の人々も人生の幸せを得られるよう手助けをする道具にすぎません。苦しみを理解すればするほど、乗り越えるのは簡単になります。

僕はまた、仏教を迷信的な悲観的な人生観、つまり苦しみからの一時的避難場所と誤解していました。
この特有の考え方は、若い頃に他の人々に教えられたものです。
しかし、どのような状況でも、何かをちゃんと理解せずに信じていたり、ちゃんと知らずに排除していたら、それもまた迷信であると僕は理解したのです。
科学的な考え方とは、何かを正しく理解する前には、盲目的に信じたり拒絶したりはできないというものです。

アルバート・アインシュタインがかつてこんなことを言いました。
「現代の科学的要求に応えられる宗教があるならば、それは仏教だ。」と。
この2500年間に、なぜ仏教はこんなにも幅広く、科学者や政治家、軍人、教育者や民間人に受け入れられてきたのでしょうか。仏教とは実際何なのでしょうか。

今日は仏陀の誕生なので、皆さんを新しく作られた、あらゆる人々が協力し、分かち合い、話し合い、調査するための「Come Together」サイトにご案内したいと思います。
「Come Together」は皆さんが、人生の意味やどうやって苦痛をとりのぞくいて幸せな人生を手に入れるのかを話し合ったり探求する本や、リンクや記事を提供する場所です。
皆さんに「Come Together」に来ていただき、人生を答え を探すという共通の目的に向かって共に旅をしたいと思います。

毎日僕は感謝を感じます。
これは仏教を学ぶことから得た習慣なのです。
仏陀の誕生日を祝う今日を除いて、僕はみなさんと感謝を分かち合いたいと思います。
この5日間、感謝という話題で僕の考えを皆さんに読んでもらうことで、みなさんが人生の中での感謝を感じられる事柄に気づき、それが皆さん自身や他の全ての人々にとって、幸せを手に入れることになるようにと祈っています。

ありがとうございます。