2007年7月6日:猿王について
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理想的には、猿王を演じる人物の正体は秘密にしておく方がいいのですが、技術や情報配信の発達で、最近の映画業界にほとんど秘密はなくなってしまいました。もうすでにみんなが、僕が猿王を演じることを知ってしまいました。
実は、三年前にこの映画の脚本を初めて受け取った時、プロデューサーが僕の所に来て、猿王を演じないかと言ったのです。
でもその当時、脚本に問題がありました。法師が偉大な戦士として描かれていたのです。
僕は、ちょっとこれは変だなと感じました。というのも、原作の「西遊記」では、法師だけが実在の人物です。彼は唐王朝時代の仏教指導者、僧正玄奘をモデルにしています。この人物が偉大な戦士であるという設定のこの作品は、観客に受け入れられないでしょう。
それで、プロデューサーとの議論の末、法師が戦士であるという設定はやめようと決定したのです。
そうしなければ、この作品はアジアでは受け入れられません。
でも、どうやってこの問題を解決したらいいのでしょうか。僕は2つの提案をしました。
1つめは、法師を猿王の化身にしてしまえ、ということです。
猿王はこの世の72種類の変化法を身につけているわけですから、毛を1本抜いて自分を僧に変えることが出来ます。
それで、彼を「唐僧」と言う代わりに、「黙僧」と呼ぶことにし、問題を解決しました。
2つめに、僕は、この作品は原作「西遊記」を忠実になぞる必要はない、と提案しました。
原作を知っている人ならば誰でも、この物語がどう描かれるべきかについて、その人なりのイメージを持っています。
今回の作品では、この物語はアメリカ人少年の夢の中で創られたものとしました。そのため、登場人物も原作の「西遊記」とは違っています。
しかし、それは大した問題ではありません。
これはアメリカ人少年の夢の中の出来事という解釈であり、そのため創造性を発揮する余地が多くなりました。
プロデューサーは僕のアイデアを気に入ってくれました。
脚本家は香港まで来てくれて、猿王の人物像について僕と話し合いました。
中国と欧米の文化には当然のことながら様々な違いがあります。
そ して、猿王の解釈も様々です。このキャラクターを生み出すためには様々な作業が必要ですが、創造性を発揮するための余地を最大限に広げて、前例にこだわら ないことが最善だと思います。僕はこのキャラクターに全力で取り組むつもりです。そして、皆さんが次のような観点を理解してくださることを期待していま す。
これは欧米の少年が見た夢の世界のキャラクターなのであり、世界中の観客のみなさんのための、猿王の新しい表現なのです。
正直なところ、この猿王の描写はかなり勇気がいることでした。
京劇やアニメやTVシリーズで、様々な猿王が描かれ、評価を得てきました。例えば、六小齢童師が演じた猿王です。彼の表現や動きは、中国文化的視点から見て、まさにかくあるべし、といった猿王でした。
しかし、僕たちの猿王の解釈が以前の作品の表現に基づいたものであったら、新しい設定の中ではうまくいかないでしょう。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」の黄飛鴻を演じるときも同じような状況がありました。
Kwan Tak-Hing師は100を越える作品で黄飛鴻を演じましたが、僕が演じて 映画の中で活かすには、まったく新しい黄飛鴻像を創り出さねばなりませんでした。
今回の猿王は中国の観客のみを意識した作品ではありませんし、アジアの観客だけを対象としたものでもありません。
世界中の観客を意識したものです。
猿王について何も知らない人々も世界にはたくさんいます。
従って、猿王のキャラクターが、映画の中のアメリカ人少年の夢で創り出された世界のものであれば、正しいとか間違っている、ということもなく、創造性も膨大なものになります。
来年にはこの作品が公開されます。
そしてもちろん、皆さんに気に入ってもらえるかどうかは約束できません。
僕はただ、アクション監督のユエン・ウーピンと共に最善を尽くし、最善の猿王を創り出したいと思っています。
実は、三年前にこの映画の脚本を初めて受け取った時、プロデューサーが僕の所に来て、猿王を演じないかと言ったのです。
でもその当時、脚本に問題がありました。法師が偉大な戦士として描かれていたのです。
僕は、ちょっとこれは変だなと感じました。というのも、原作の「西遊記」では、法師だけが実在の人物です。彼は唐王朝時代の仏教指導者、僧正玄奘をモデルにしています。この人物が偉大な戦士であるという設定のこの作品は、観客に受け入れられないでしょう。
それで、プロデューサーとの議論の末、法師が戦士であるという設定はやめようと決定したのです。
そうしなければ、この作品はアジアでは受け入れられません。
でも、どうやってこの問題を解決したらいいのでしょうか。僕は2つの提案をしました。
1つめは、法師を猿王の化身にしてしまえ、ということです。
猿王はこの世の72種類の変化法を身につけているわけですから、毛を1本抜いて自分を僧に変えることが出来ます。
それで、彼を「唐僧」と言う代わりに、「黙僧」と呼ぶことにし、問題を解決しました。
2つめに、僕は、この作品は原作「西遊記」を忠実になぞる必要はない、と提案しました。
原作を知っている人ならば誰でも、この物語がどう描かれるべきかについて、その人なりのイメージを持っています。
今回の作品では、この物語はアメリカ人少年の夢の中で創られたものとしました。そのため、登場人物も原作の「西遊記」とは違っています。
しかし、それは大した問題ではありません。
これはアメリカ人少年の夢の中の出来事という解釈であり、そのため創造性を発揮する余地が多くなりました。
プロデューサーは僕のアイデアを気に入ってくれました。
脚本家は香港まで来てくれて、猿王の人物像について僕と話し合いました。
中国と欧米の文化には当然のことながら様々な違いがあります。
そ して、猿王の解釈も様々です。このキャラクターを生み出すためには様々な作業が必要ですが、創造性を発揮するための余地を最大限に広げて、前例にこだわら ないことが最善だと思います。僕はこのキャラクターに全力で取り組むつもりです。そして、皆さんが次のような観点を理解してくださることを期待していま す。
これは欧米の少年が見た夢の世界のキャラクターなのであり、世界中の観客のみなさんのための、猿王の新しい表現なのです。
正直なところ、この猿王の描写はかなり勇気がいることでした。
京劇やアニメやTVシリーズで、様々な猿王が描かれ、評価を得てきました。例えば、六小齢童師が演じた猿王です。彼の表現や動きは、中国文化的視点から見て、まさにかくあるべし、といった猿王でした。
しかし、僕たちの猿王の解釈が以前の作品の表現に基づいたものであったら、新しい設定の中ではうまくいかないでしょう。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」の黄飛鴻を演じるときも同じような状況がありました。
Kwan Tak-Hing師は100を越える作品で黄飛鴻を演じましたが、僕が演じて 映画の中で活かすには、まったく新しい黄飛鴻像を創り出さねばなりませんでした。
今回の猿王は中国の観客のみを意識した作品ではありませんし、アジアの観客だけを対象としたものでもありません。
世界中の観客を意識したものです。
猿王について何も知らない人々も世界にはたくさんいます。
従って、猿王のキャラクターが、映画の中のアメリカ人少年の夢で創り出された世界のものであれば、正しいとか間違っている、ということもなく、創造性も膨大なものになります。
来年にはこの作品が公開されます。
そしてもちろん、皆さんに気に入ってもらえるかどうかは約束できません。
僕はただ、アクション監督のユエン・ウーピンと共に最善を尽くし、最善の猿王を創り出したいと思っています。
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