2008年10月7日:「今度は私の番―私の人生を変えた津波」

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(これは、10月6日付け発行のニューズウィークの記事です。)

有名な中国人俳優が、休暇で訪れた島で子供を失いかけた。彼の世界観は変わり、災害救済を主眼とした基金を始めた。

2004年12月25日、妻と、1才と4才になる2人の娘と共に、モルジブのフォーシーズンズホテルに着いたのは、夜遅くだった。暗かったけれど、島は美 しく平和だった。

翌朝7時50分に、僕は地面が動くのを感じた。地震だと分かったよ。というのも、中国やサンフランシスコでいくつか経験していたからね。それであまり気に していなかったんだ。娘達は海岸に興奮していたから、予定より早く、10時10分頃に海に行くことになったんだ。ホテルを出てすぐに、海岸より少し高台に あるプールの側で、僕は波がやってくるのを見たんだ。

それは、巨大な波がこちらに向かってくる映画とは違っていた。水位がどんどんと上昇し、砂浜の日光浴客を飲んでいくんだ。みんなホテルに向かって逃げ出し た。それでもまだ彼らは笑っていたんだ。僕は4才のジェーンを抱え、子守がジェイダを抱え、僕たちはホテルに向かった。あっという間に、水は僕の膝まで達 した。

二歩進むうにち、水は腰まで来た。もう二歩すすむと、胸まで来た。そしてすぐに鼻の下まで達したんだ。僕はジェーンを肩車し、子守の手をつかもうとした。 彼女はもう頭まで水に浸かっていたので必死だった。振り返ると、全てが――浜辺やプールが――見ずに飲まれていた。僕は、周りに何もない、海の中に立って いたんだ。

僕は子守をつかもうとしたが、水の勢いが強くて彼女とジェイダを押し流してしまった。幸い、僕は名が知られていて、僕がここにいると皆知っていた。彼らは 僕を捜していた。僕が必死に助けを求めて大声で叫ぶと、4人が僕たちの方に泳いで来てくれて、ジェイダと子守を助けてくれた。そして僕も助かった。水位は 僕の口よりもあがらなかったのだ。

津波が押し寄せた数秒間、考える時間などない。ただ前に進むという本能が働くだけだ。津波が遠ざかると、その後には何も残っていなかった。電気はストップ し、連絡手段も使えなかったが、ホテルの衛星電話が使えた。僕たちは、水が5日分と食料が3日分あると伝えられた。

その晩みんながホテルのロビーに寝泊まりした。ジェイダは僕に抱かれて眠っていたが、僕は眠れず、色々なことを考えた。もし神様が僕を救ってくれたのな ら、これはきっと何かを意味している、と思った。モルジブでのその日が、僕にとっての本当の転機だった。僕は人生の41年間でジェット・リーであること、 自分が特別であること、自分がスターであることを証明しようとしてきた。それまでにやってきた全てのことは、自分が中心だった。しかしその日ホテルのロ ビーで、僕は様々な人種の、異なる言語を話す人々がお互い助け合う姿を見ていた。女性や子供、お年寄りをまず助けようとする姿は、映画のようだった。そし て、みんなが助け合えば、みんなが何かほんの少しのことをすれば、大きな変化をもたらすだろう、と僕は思ったのだ。

また、僕を水から救ってくれたのは、この世の冨や権力ではなかったことも悟った。あの晩に、僕は引退するまで待つのはやめようと決めた。いますぐ何かをし なければいけない。数日後、僕はワン基金を始める計画を発表した。しかしそうなっても、僕はどこから始めればいいのか分からないでいた。僕は中国でまず何 かをしたかった。それは僕の母国であるからだ。でも、正しくやらなければならなかったので、何をすべきか理解するための調査や相談に数年かかった。

僕はやっと2007年にワン基金を設立した。その理念は単純だ。一人+一ヶ月一元=大家族、だ。つまり、みんながほんの少しずつ貢献すれば、それが僕たち をつなぐ。もちろん、政府や会社は一般人に対して責任がある。しかし、人間一人一人にも責任がある、という考えを僕は広めたい。大金持ちや企業のトップや スターだけではなく、一人一人のほんのわずかな協力から始まるのだ。

今のところ、ワン基金は災害救援に主に当たっている。設立後から、四川大地震など、いくつかの災害救援に関わってきた。モルジブでの体験があるので、僕は 主に災害救援に関わっている。ふつう、大災害が起こると、それについてニュースを聞いたり写真を見たりして、寄付をする。そうすると、援助を必要としてい る人達に救援の手がさしのべられるのに何日も、何週間もかかってしまう。僕はすぐに援助できる態勢を作りたい。僕は、食料や水を買うためのお金をいくらか プールしておき、すぐに出動したいのだ。

そして援助は物質的なものだけではない。人々は、誰かが救援に来てくれることを知る必要がある。これは僕自身の体験から分かったことだ。耐えて、救われる 希望を持つことが必要だ。救援の手がさしのべられることを人々に知ってもらいたい。1年撮影を休み、全ての時間をワン基金のために使うつもりだ。しかし、 来年は映画の仕事に戻る予定だ。国際的な俳優というのは基金を宣伝するのにはよい立場だからね。映画は僕にとって、お金を稼ぐだけのものではない。映画は 人々の考えを変えたり、愛のウイルスをばらまくことでもあるんだ。僕は自分の名声を、世界にお返しをするという良い目的のために使いたい。このこと以上に 大事なことは、今はない。