2008年12月10日

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2002年にTIMEの表紙に登場してから、ジェット・リーは、5月12日に起きた四川大地震での救援活動で大きな評価を得た。彼のワン基金は7月に 1370万ドルの寄付を集め、そのほとんどを被災地に寄付した。以下はその記事である。

四川省の山奥で、18台のランドクルーザーが狭い道に停車すると、興奮した群衆の喜び叫び声が、秋深い靄の中にとどろいた。ランドクルーザーの一団は、四 川省の首都成都から二時間半をかけて、5月に起きた大地震の爪痕の残る田舎にやってきた。田舎、それは、車の窓ガラス越しに見えるの風景は、田舎という言 葉によって通常呼び起こされるイメージとは正反対の姿を見せていた。山肌には亀裂が走り、道路は大きな裂け目で分断されている。七ヶ月近く前に起きた大災 害による崖崩れのため、山の斜面には広範囲に瓦礫や岩がころがっている。洪水を起こした谷には、なぎ倒された木の幹が、撃破された艦隊のマストのように水 面から突き出ており、辺り一面を冷気と湿り気と霧が覆っていた。

村人達はこのランドクルーザーの一団を列をなして待っていた。そして彼らはこけつまろびつ、泥だらけの道を、一団に近づこうと駆けだした。車のドアがつい に開き、ドナテラ・ヴェルサーチがスモークガラスとタバコの煙の中からおそるおそる登場した。金髪をなびかせヒールを履いた彼女は、この山奥ではおよそ不 似合いな豪華な姿だ。しかし村人達は彼女が何者であるのかまったく知らない。彼らは彼女と共にやってきたジェット・リーに会いに来たのだ。そして彼が現れ ると、大歓声が起こった。

この2人の有名人は、四川大地震によって被害を受けた子供達のための学校とカウンセリング施設の訪問にきたのである。それらの施設はヴェルサーチから資金 を援助され、ワン基金によって運営されている。今回の訪問はプライベートなもののはずだったが、何百人という人々が、道ばたから、学校と隣接する仮設住宅 のある区域を分ける金網を越えて、押し寄せてきた。子供達がいっしょうけんめい練習してきた歌や踊りを披露するわずかな場所がかろうじてあるだけである。 ジェットとヴェルサーチが教室を廻ると、驚いた農民達がどの窓ガラスにも顔を押しつけている。近づけない人々は携帯電話を柵から突き出し、なんとか写真に 撮ろうとしている。スター達が登場すると、人々やパパラッチが取り囲んだ。映像カメラマンが三社から来ており、なんとか撮りやすい場所を求めて押し合いへ し合いをしている。冷静を保てなくなった人々に、警官が大声で、訳が分からない状態のもつれあったイタリア人記者たちに怒鳴り始める。

ジェットとヴェルサーチの側近達はお互いにジェスチャーで訪問の終了を確認しあい、みんな車に乗り込んで成都へ向かった。そのまま夜の便で北京に戻った。 ジェットと共に一日を過ごすのは骨が折れる。彼の個人的な映像カメラマンが、「全然たいしたことじゃないよ。上海にいるときの群衆と比べたらね。」と笑っ て言った。

(中略:連杰の生い立ちやフィルモグラフィー的記述、ワン基金設立の経緯は割愛しました。)

今日、彼はその(ワン基金の活動の)最前線にいる。基金の北京事務所では、ジェットが準備している間、訪問者を控え室で面倒をみる世話人はいない。彼自身 が両手を広げ、彼自身の応接間にすぐにやってきた。

彼が北京にいるときはいつでも(自宅はシンガポールだ)、事務所近くのアパートで、基金のスタッフと同居している。スタッフ達も休む間はない。彼は少なく とも今年20の会議で演説をし、中国のあるべき姿を語ってきた。ワン基金にとって最も重要なのは、模範を示すことだ、と彼は言う。「中国がもっと強くなれ ばそれだけ世界に対しての責任を負うようになります。」と。言い換えれば、食料や毛布など、物質面での援助をするだけではないのだ。世界で最も人口の多い 国がどうあるべきか、という理念なのだ。そしてそれが、会社経営者達に寄付金を出させ、貧しい人達にくたびれたお札を郵便局で寄付するために並ばせるの だ。その理念は、イタリアファッションの象徴的人物に、破壊された四川省の山奥の泥の中で、豪華なイタリア製の靴を泥で汚させたのだ。